子育て
伝えないという手段でしか、伝えられないこともある。
きっかけづくりが大事。そのために、その場所に足を運ぶことが大事。
お菓子、おもちゃ、テレビ、これらさえなければ、みんないい子。 俺は優しいパパ。
勝手に学ぶことは言う必要ない。 つまり、子供に教えることなんてほとんどない。
叱られたら、子供は反省する。けれども、怒られたら反発する。
きっと、引き籠る余裕などなかった時代は、人見知りに留まっていたのだ。
前の晩に高熱出しながらも、運動会当日は熱下げてフル出場、その晩再び高熱の娘に乾杯! 前の晩「気合で下げなさい!」と娘を叱った嫁に敬礼!
肘つかないで!と娘に逆しつけされた昼飯がカップ麺という滑稽。
親じゃなくても子育てはできる。親じゃないとできないのが子作り。
子供への下手な働きかけは、そのエゴばかり子供に学ばせてしまう。
子育てが全て終わったら、改めて成人式しよう。
子供は、遊びが仕事。親は、子供を遊ばせるのが仕事。
小さい子供は、母親が笑えば楽しくて、母親が泣けば悲しくて、母親が痛めば痛がって、母親が怒れば何故か一緒に腹を立てるのだ。まだ心がくっついているのだ。
親は、子の血に潜む霊である。子の頭に血がのぼると出てくる。
子供は怪物。大人は暴力を駆使しなければ勝てない。
言うことを聞かないのが子供。子供が言うことを聞くのは、楽チン!だけど少しさびしい。
人が持ってりゃすぐ欲しがって!と子供を叱ることは出来ないはずだ、所帯持ちは!
もしウソ泣きだったとしても、騙されてやるのが大人なのだ。少なくとも、お芝居を指摘するよりは!
夢中で子供たちと遊んでいると、いつの間にか松岡修造モード。
育児休暇の前に、子作り休暇。
「俺のようになるな」という父親の言葉は、「どうせ俺のようにしかならないのだ」という、息子への屈折した呪文である。
ご用心!その逆ギレは、狙い通りのカウンターパンチかも知れない。
名付けは芸術である。つけられた名前は、かけがえのない物語のタイトルである。
足元から1.2m。そのエリアで、少年たちは世界を創る。
何度でも言う。子育てより子作り。 子育ては逃げ口上、子作りは一大決心。
「何が欲しい」と子供に聞くのは、親の怠慢である。子供にとって、未知のものや未体験のことを与えてやろう。
親がいいかげんだと真似するし、きちんとしてると反発する。 子供にはタテマエがないから!大人のホンネだけ受信しているから!
俺から学ぶものは何もない。俺は俺しか救えない。それでもパパは変えられない。観念しろ。
父親は、子育て参加不要である。 家族が退屈してたら波風立てる、くらいが程良い。
子供の純真さとは、その自己中心性において、一切の雑念がないことである。