きょういく
苛められていることを頑なに認めない児童同様、教育という暴力で洗脳されてしまっていると告白出来ない、自己欺瞞な大人です。
何日でも何年でも黙って待つ、というコミュニケーションがある。
男子諸君!長髪は良し、でもシャンプーの匂いは駄目。
楽しいぞ、と嘘をつき、国策に従って就学させるしかないのだ。俺は、小学校を壊したり作ったり出来ないし、小学校の先生になれないし、仕事で家を空けるから、結局世間様に同調するしかないのだ。許せ、子供たち。
大人に理解出来ない、子供の感覚は、きっと当たってる。やがて「正しい国語」に置き換えられてしまうのだ。
どんな教育が良いかと問うこと自体、隷属的である。
性教育と聞いて、性器図解やHow to SEXを思い浮かべてしまうのは、自然だ。 正しくないとしても。
突然理不尽な解雇に遭っても、耐え難きを耐え、あくまでも職を求め続ける派遣労働者の姿に、大変好ましい「教育の成果」を見る。
自衛隊幹部の作文スキャンダルは、歴史は政府のものであると子供達に諭した。
教育を云々するなら、教育という言葉を用いるべきではなかった。
調教される側が、調教の方法や意義について何を喚こうが、調教する者にとっては、むしろ都合がいいのだ。 調教を拒む少数者が、調教を受け入れる大多数に淘汰されるのを知っているから。
勤勉な優等生が国立大学出て教職につくエセ社会人コース。肩書きは、教科指導員が無難。
ものの見方や考え方、しつけや技術伝達までも、教育という言葉にすり替えられてしまった。 誰だ、ごっちゃにしたのは!
ものごころついてから、誰によって何を教育をされ、どんな影響を受けたのか、今となっては確かめようもないのが腹立たしいのだ、俺は。
我々は、自発的に学ぶ人間である。「教育を受ける権利」などいらない。教育を拒否する権利をよこせ。
教育されていることは秘匿され、俺は、自ら学んでいると錯覚していたのだ。
「教育を受ける権利」をどう行使すれば良いのか分かりません。てゆうか、とてもヘンな条文です。
子供のしつけは、個々の家庭の事情。教育を騙ってテレビで議論するようなものではない。
大事な前提に、今さら気が付いた。 国こそ教育主体であり、国民はみな被教育者である。
学力が低下しているなら、向上している別のモノサシで評価してあげよう。例えば、ゲーム攻略能力とか、被影響力とか、二次創作力とか。
不登校は学校教育への、ニートは日本という国への、控えめな「あてこすり」なんです。
入試に出るからといって、ニュース見ないで新聞読めと指導する。なんともケチ臭い教育です。