文章道
何を伝えたいのか、と自問自答していると、面白いものは書けない。
すべての物語は破綻しない。作者が、書くのをやめることはある。
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速読ほど文章に対して失礼な読み方はない。
良い読み手は、一字一句に敬意をもって接する。作者よりも文章にこそ気をつかうのだ。
オレモソレヲヤリタイ!これが一番最初。伝えたいテーマなんて一番最後。
出るとか出ないじゃない、出すんだ! 子供がトイレを嫌がってお漏らしするとき、オシッコは言葉のメタファー。
何人称で書かれていようが、視点は作者にしかないのだ。
小説の視点には二種類しかない。分かりやすい視点と、分かりにくい視点と。
文章の5W1Hというお題目、あまりにも非文藝的である。
陽の当たる月面は灼熱だと考える理性。 夜空の月を冷たいと形容する感性。
あとで書き直そうなんて思うから駄目なんだ。
たとえ未消化でも、出るものは出るのだ。
主人公でないという不遇。物語は不公平。
訴えたいことなんて何もないけど、書きたいことなら山ほどあるんだ。
自分の言葉で語れるなら、良くも悪くも、自分の立場が固定したというわけだ。
吸ったら吐く。食ったら出す。聞いたら話す。読んだら書く。これが自然。
自作のフィクションさえ、思い通りにいかない。
肉声や手書き文字に勝るユニークな言語表現はない。そう思うと、活字がひどく抽象的に見えてくる。
普段は寡黙だがWEBでは饒舌という人物を知らない。逆もまた然り。良くも悪くも、言文一致である。
個人において、表現と解釈は同時に起こっている。
俺がどんなことを語ろうとも、俺を語っているに過ぎない。
誰かを救いたいという思い上がりは、言葉を不純にしてしまう。
真実など不要、真実っぽさの「ぽさ」を書くべし。PR:賛否両論アンケート⇒http://kasei.panda.chitoku.net/cgi-bin/enq3/qqq.cgi
書くは一時の恥ずかし、書かぬは一生の悔い。PR:立ち読みアンケート⇒http://kasei.panda.chitoku.net/cgi-bin/enq3/qqq.cgi
詩は書けなくとも、詩人でありたい。 詩人でなくとも、旅人でありたい。
創作に自己啓発本は必携である。ストーリーから自己啓発本の推奨する行動を全て削除する為に。
想定読者は、少なくとも自分、例えば明日の自分だったりする。
内容とかストーリーに興味はない。ただ、目の醒めるような表現に接したいのだ。
俺の思いは、貧弱な語彙に依存している、制限されている。いっそ踊って表現するか。