2008-01-01から1年間の記事一覧
どんな時代が来ようとも、俺はアナログで結構。
少女はやがて子を産んで母になる。ところが少年は、制度として父親となるに過ぎない。 少年は永久に、母になれないのである。
どうにか手が届きそうな一戸建ては、土地付きなのに庭がない。
俺がやる!ゴキブリ退治!みんなどけ!家のあるじの唯一の見せ場。
会社の仕事は、俺の役割である。俺の仕事とは言えない。
思い通りになるという感覚からも愛着が生じる。 人に、または人から愛着を感じた時、用心せよ。
仕事して、仕事して、仕事して、仕事しない地位を目指す。
包茎は、パンツの中のひきこもり。摩擦怖いが、実は快感。
我々は、自発的に学ぶ人間である。「教育を受ける権利」などいらない。教育を拒否する権利をよこせ。
どんなに君が、言葉や筆跡を変え、整形までして外国人になりきっても、勃起対象によって国民性は知れてしまうのだよ。
「量より質」はセールストークです。 人の営為は「質より量」。量をこなすこと無しに、質の向上は無い。
世の中がネガティブ礼賛の風潮であったなら、俺は恐ろしくポジティブな男として生きるのだ、きっと。
どんな場合でも、答えようのない問いを発して責めてはならない。子供の「キレない能力」を損なうから。
子供たちの流行さえ、企業がつくっている。
ケースバイケース。それ以外に正攻法はない。
人は、生まれた瞬間から我慢を強いられる。その一生を終えるまで!
嫌われてこそ男。八方美人は女性に限る。
いくつかのエサが撒かれて、鳩が群がる。鳩が最も群がったエサを国民の選択と呼ぶわけだ。
本来の自分ではないと感じるのは、いつも誰かを演じているからだ。と、演じている。
錯覚は、人類の程度を示している。
教育されていることは秘匿され、俺は、自ら学んでいると錯覚していたのだ。
じゃあ入籍しとこうかって、そりゃあ生まれてくる子に失礼だ。
「教育を受ける権利」をどう行使すれば良いのか分かりません。てゆうか、とてもヘンな条文です。
デパートやホテルのトイレは、デカい鏡と大理石風、温水仕様でエアタオル、そして便座は最新ウォシュレット!なのに紙は、いつも硬めのシングルロール…。
なぜ明日や未来や諦めないことが好ましいのか、根拠が思い出せない。 かつての「励ましロック」の言葉に酔っていただけだろうか。
選択させるということは、選んだ責任を負わせることであり、あるいは採択されずに悲しませることである。
子供のしつけは、個々の家庭の事情。教育を騙ってテレビで議論するようなものではない。
生まれた土地を離れた移住者にとって、ローカルなお祭りのよそよそしさは、結構キツい。
大事な前提に、今さら気が付いた。 国こそ教育主体であり、国民はみな被教育者である。
わざわざ言葉にするとヘンだけど、男の子の乳離れが女の子より遅いのは、母親が女性だからだ。